Blue

 39

 泰典は酷く酔っていた。
 普段は晩酌程度にしか嗜まない泰典だったが、その夜は、あびるように飲んだ。

 ふらつく足で自宅に帰る。
 
 これでようやく自分の心を乱すものはいなくなった。
 
 今日、施設に行った彬也はもういない。

 なのに泰典は家に帰る気がしなかった。

 安い居酒屋で閉店まで飲んで、店から追い出された。

 酔ってなにもかも忘れたいのに、胸に渦巻く苛立ちは酒では消えてくれなかった。

 しかし、もう酒を飲ませてくれる店もなく、仕方がなく泰典は自宅へと帰る。

 帰ってきた自宅は真っ暗で、まるで泰典を拒絶しているようだった。

 アルコールのせいで酩酊とした頭でも、躯が記憶しているのだろう。無意識に鞄から鍵を取り出して、扉を開けて玄関の電気をつけた。

 ふいにそれが目に入った。

 子供用のスニーカー。
 
 彬也の靴だった。

 カッと怒りが噴き上がった。瞬間的に頭に血が登るほどの激しい怒りだった。

 またあの子供が約束を破ったのだと思うと、酔っていたことさえ忘れるほどの激情が泰典を支配する。

 ダンダンと床が響くほど足音を立て、彬也の部屋へと向かった。

「彬也っ、お前ってやつは……」

 そこは暗闇だった。すぐさま泰典は明かりを灯す。

 しかし、そこには誰もいなかった。

 綺麗に整頓されて、スポーツバックがひとつだけ床にぽつんと置かれていた。

 机の上には封筒はひとつ。
 そこには『お父さんへ』とだけ書かれていた。

 泰典は、それをぐしゃりと握り潰す。

 こんな手紙ひとつで許してやるつもりはない。

 しかし、一体どこに隠れているんだ。
 小賢しい子供だ。

 やっぱり、あの女の子供だ。
 少しでもほだされそうになった自分が馬鹿だった。

「クソッ!!」

 見つけて叩き出してやるっ!!

 泰典は片っ端から部屋の明かりをつけて、彬也の姿を捜した。

「出て来いっ、彬也っ!!」

 ベランダから、ベッドの下、洋服ダンスの中。小さな彬也の躯なら少しの隙間さえあればどこにでも隠れることができるだろう。

「こんなことをしても、私はお前を許したりはしないぞ、彬也っ!」

 ニ階にはどうやらいないようで、泰典は一階へと降りる。

 台所に向かおうとして、微かな水音に足を止めた。

 それは浴室から聞こえていた。

 浴室も真っ暗だったが、なぜか泰典はここに彬也がいるだろうと思った。

 扉を開けて泰典は立ちつくす。

 そこは血の海だった────。

 ◇

 処置室の前で、泰典はぼんやりと座っていた。

 まだ頭の中は混乱したままだった。

 真っ赤な湯船の中に片手を入れて、血の気の失せた彬也を見て、泰典は頭が真っ白になった。

 床には血の吐いたカッターが、右手の傍に落ちていた。

 その彬也の姿を見たとたん、酔いも怒りも吹っ飛んで、血の気が引いた。

 ハッと気がついて、我に返る。

「彬也っ!」

 叫んでみたが反応は無かった。

 手首を浴槽から上げて、次に呼吸を確かめる。微かだが息があって、ひとまずホッとしたが、彬也の躯は氷りのように冷たかった。

 救急に電話をし、応急の処置をして、救急車がくるまでずっと彬也を抱き締めていた。

 処置室から医者が出てきて、彬也が一命を取り留めたことを告げられた。

 傷口自体はそれほど深い傷ではなかったようだが、もともと体力がなかった上に、このところの栄養失調がたたったようで、危ない状態だったらしい。

 個室に移された彬也は静かに眠っていた。

 


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