Blue

 38

 それからはずっとベッドの中だった。最初の二日は高熱が出た。

 関節はまるで錆び付いた機械のように、少し動かしただけでも軋んで痛かった。

 お腹と裂けたアナルも痛かった。
 自分では、寝返りすら打てなかった。

 熱のせいで酷く寒気がして、いつ目を覚ましても誰もいなくて、このまま自分は死んでしまうんじゃないかと思った。

 自力で体を起こせるようになったのは三日目で、酷く咽が渇いていた。

 そこにはペットボトルの水と、冷たくなった粥があった。

 まだ食欲はなくて、水だけ口にして再び眠った。

 いつ起きても、そこには水と食べ物だけ置かれているが、一度も泰典は姿を見せてはくれなかった。

 俊樹に力でねじ伏せられてから、こうなることは予測できたが、それでも胸を抉るような痛みに襲われる。

「これで……本当に、僕はここから追い出されるんだ」

 口にすると、まるでそれが現実のものになったようで、胸が押しつぶされそうだった。

 目から涙がポトポトと落ちる。

「お父さん……」

 彬也の呟きは、どこにも届くことなく、空中で消え失せた。

 ◇

 彬也の体調が戻るまでニ週間もかかった。

 戻るといっても完治したわけでなく、ただ傷口だけが塞がったというだけだ。

 食事もまともにとっていない彬也は、すっかり肉が削げ落ちていた。
 
 このニ週間、食事を運ぶ以外で、一度も部屋を訪れたことがない泰典が、その日久しぶりに姿を見せた。

 ポンと彬也に投げよこしたのは、茶色い封筒だった。

「もう手続きは済ませておいた」

 それは児童福祉施設の書類だった。

 とうとう、その日がやってきたのだと彬也は理解した。

 彬也の血の気は更に消え失せ、蒼白になって指先が震えた。

「お父さん……僕は……」

 言わないと、言い訳して謝らないと……そう思うのに、彬也の舌は痺れたように動かなかった。

「なにも言うな……お前の言葉はなにも信用できない」

 その目は母が出ていった時と同じ、氷のように冷たいものだった。

 蔑んだ侮蔑の眼差し……。

 ああ……と思った。

 それは希望が消え失せた瞬間だった。

「そう……だね。もうお父さんに、僕が何を言っても信じて貰えるわけがないね」

「…………」

 泰典は冷たい眼差しを向けるだけだった。

「わかりました……。僕、明日ここを出ていきます。今までありがとうございました」

 彬也は声が震えていた。
 泣きたくないのに。目頭が熱くなる。

「もう二度とここには来るな」

 泰典は吐き捨てるように言い放つと、部屋を後にする。

 泰典の寂しそうな背中を見つめ、これで泰典に会うのが最後なのだと思うと、胸に激痛が走る。

「待って、お父さんっ!!」

 思わず、その手を掴んでいた。

「僕っ、お父さんのことが好き。大好き!」

 それは彬也の最初で最後の告白だった。

 しかし、振り返った泰典は凄い形相で睨み付け、手を払う。

「触るなっ!!」

 まるで穢らわしいものを払うような仕種だった。

「……ごめんなさい」

 彬也の謝罪を聞くことなく、泰典はその場から立ち去る。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 彬也は謝る相手がいなくなっても、何度も謝り続けた。

 涙が涸れるほど泣く、と言うのを彬也はこの日初めて体験した。

 泣いて、泣いて、ただひたすら泣いて。

 彬也の心は空っぽになった。

 彬也の中には何も無かった。
 あるのは絶望だけだった。

 


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