Real

 55

「あれ、大和は?」

 帰ってきた隆一は、一人なにも知らずに暢気な声でそう尋ねた。

「帰ったよ」

「なんだよ、あいつ。俺に外までパシリに使って、なんで勝手に帰るんだよ。クソッ、連れ戻しに行ってくる!」

 腹を立てて部屋を出ようとする隆一を俺は呼び止めた。

「待ってくれ、隆一」

 急に呼び止めた俺に、隆一は少し驚いた様子だった。

「どうかしたのか?」

 心配そうに俺の顔を覗き込む。

「なんか顔色が悪いな。気分でも悪いのか?」

「ああ、少し気持ち悪い」

「じゃあ、看護士さん呼ぼうか?」

 俺は首を振った。

「いいんだ。でも……少しの間だけ手を握っていてくれないか?」

 隆一は一瞬だけ目を見開いて俺の顔を凝視する。その後に破顔していいよと言った。

 その表情に俺はドキリとする。
 
 胸が酷く締め付けられた。

 俺の差し出した手を隆一の手が優しく包む。

 触れた場所から伝わる温もりに、じんわりと胸が温かくなる。

「なんか昔を思い出すな」

 幼い時、病気になった俺を隆一はこうやってそばでずっと看病してくれていた。

 寝るまでずっと手をつないでくれたのだ。

 俺はとても幸福なはずなのに、やはり胸が苦しくてしょうがない。

 どうして俺は血のつながった兄に、何度も何度も恋をしてしまうのだろう。

 そして、敵わぬ想いに何度も胸を焦がすのだ。

 大好きな隆一がこんなに傍にいるというのに、その存在は遠すぎて辛かった。

「もう……いいよ。大和を探しにいけよ」

「なんだよ、もう大和のことなんてもうどうでもいいよ」

 なんとなく寂しそうな表情をする。
 そんな顔をしないで欲しい。

「いいんだ。ちょっと眠くなってきたから、一人になりたいんだ」

 今は、隆一と一緒にいるのが辛かった。

「そうか……じゃあ、俺は帰るけど、また明日くるからな」

 隆一の背を見て、呼び止めたくなった。

 ぐっとそれを堪える間に、隆一は部屋を出て行った。

どうしてだろう。さっきはあんなに隆一と一緒にいるのが辛いと思っていたのに、隆一がいなくなった今は更に寂しさと切なさが増した。

 矛盾だらけの気持ちに、酷く混乱する。

 苦しくて……切ない。
 
 隆一に助けて欲しい。

 だが、俺がもっとも助けを求めてはいけないのも隆一に他ならなかった。

 この時の苦さを、俺は忘れてはいない。

 隆一から大和の名を聞く度、それは暗い澱となって俺の心の奥底へと募っていった。
 

 ***

 初めはただ生きていてくれただけで嬉しかった。

 どれほど嫌われていようと、たとえ二度と会えないとしても、その存在を喪うことを思えば大したことでもない気がした。

 司が死ぬと思った瞬間、まるで片羽をもぎ取られたような衝撃だった。

 足元の地面が崩れ落ち奈落の底へと墜ちていく恐怖は、今思い出しても身体が震える。

 だからこそ、司が助かったと知った時は、それだけで十分だと思った。

 意識が戻った時も、罵られるのも覚悟の上だったのだ。

 だけど、意識の戻った司はまるで別人みたいに優しかった。それは俺がずっと望んでいた昔の司のようだった。

 どうして急に俺を許す気になったのか不思議でしょうがなくて司に聞きたかったが、意識を取り戻したばかりの司は、怪我のせいで覚醒とまどろみを短い間で繰り返し、とてもそんな事を聞く状態でもなく結局タイミングを逃して今に至る。

 たわいのない大学や病院の看護士の話などをする。取り立て言葉を交わすことは少ないが、司は嫌がる素振りも見せず相槌を打ってくれる。

 俺はそんな些細なことに幸せを感じていた。だからこそ、藪を突ついて見たくもない蛇を出す事もないかと思っていた。

 いや、ただ俺は昔のことをぶり返して、また司に嫌われるのが怖かっただけなのかもしれない。

 そして気になるのは、日に日に司が余所余所しくなっていることだった。

 せっかく昔のような仲に戻れたと思い始めたたのに、最近では用事がなくなれば早く帰るように促される。

 俺としてはもっと司と一緒にいたかったが、疲れたから一人になりたいと言われれば、それ以上強く出る事が出来ない。

 昔のように司を傷つけるのが怖かった。

 そして今日はついにしばらく来ないでいいとまで言われた。

 


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