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Real 56 はっきり言って落ち込んでいる。確かに大学のテストが近いと言ったのは俺だけど、少し顔を見るぐらいテストに差し障るわけじゃないと言ったが、司は頑なに拒んだ。 大学のテストなんかより弟の方がずっと大事だと言うと、せっかく入った大学なのに疎かにするなんて何事だと逆に説教された。 自分は勝手に高校を中退したくせに、と心の中では思ったが口には出さない。司の言葉は正論なので反論することはできなかった。 それにどうせテストの期間が終わればまた元に戻れるのだと、俺はその時はそう思っていたのだ。 しかし、その日から次第に司は俺のことを避けるようになった。 最初は何かと理由をつけて早く帰るように促された。 それから度々、明日は来ないでいいと言われ。そんな事が重なると俺だって司が俺のことを避けているだと分かる。 どうして急に司が俺のこと避け始めたのか、その理由が気になるのに、俺は聞けないままでいた。 「もう、病院には来ないでくれ」 そう言われた時、俺は予測していたと言うのに動揺した。 「もう右手のギブスは明日には外れるし、あんたがわざわざ来ることないよ」 「なに言ってんだよ。まだ右足だって動かせないし、一人じゃ不便だろ」 「別にここは完全介護だし、看護士で行き届かないところはヘルパーを雇っていいってお袋にも頼んどいたから」 あんなに嫌っていた母親にも自ら連絡したのだ。司が本気なのだと分かる。 「どうして…急にそんなこと?」 俺はまた間違ってしまったのだろうか? あの時のように。 不安な心で胸が押しつぶされそうだった。 「俺のこと…やっぱり許せないのか?」 ずっと、聞きたくて聞けなかったことだった。 「許せないのは隆一の方だろ。俺はあんたにあんなに酷いことをしたんだ。だから、もういい。責任感で一緒にいてくれなくてもいい。もう十分して貰ったからそれでいいんだ」 十分だと言いながら、司は酷く淋しそうな表情で微笑んでいた。まるで今にも泣きそうな顔だった。 「俺は責任感でお前の世話をしたことなんてない。それに、お前が俺にしたことも、確かに今にも思い出して身体が震えるぐらい怖いと感じる時もある。だけど、あれは俺に原因がないわけじゃない」 多分、司をそうまで追い詰めてしまったのは自分なんのだ。 「馬鹿じゃねーの。お人好しも大概にしろよ。あんたに原因なんてあるはずねーだろう。俺はただムシャクシャしていた怒りをあんたにぶつけただけだ」 「嘘だ。ならどうしてあの時、久しぶりに会った時、あんなことを言ったんだ。俺の言ったことを忘れないと責めたのは司じゃないか」 一瞬、司の瞳に動揺が走ったのを俺は見逃さなかった。 「ずっと、俺がお前を傷つけていた。だから、あんな風に俺を制裁したんだろ?」 「例えそうだとしても、あんなのはただの逆恨みだ。隆一が悪いわけじゃない。俺は自分の弱い心をあんたのせいにしてただけだ。全部、俺が悪いんだ」 胸が苦しくてしかたなかった。ただ己を責め続ける司が痛々しくて堪らない。 「すまない……司。あの時、俺は怖かったんだ。お前が俺から離れてしまいそうで怖かった。馬鹿だよな、お前のことを引き留めようとして、俺はもっとも言ってはいけないことを口にした」 「兄さん……」 司の瞳が大きく見開かれる。 「思い出したよ。俺が最初に言ったんだ。お前なんて弟じゃないと──」 司の表情がみるみる強張っていく。それでいて酷く傷ついたような、そんな顔をしていた。 「どうして────」 もしかして俺は司の心の傷にできたかさぶたを剥ぎ取っているだけなのかもしれない。 それはただのエゴなのかもしれない。それでも、一番最初に掛け間違えたボタンは一番最初から掛け直さなけれ永遠に直る事がないように思えた。 真っ直ぐ見つめている司の瞳はあの時と同じように不安に怯えている。 今こそあの時の罪を詫びなければならない。 「ごめんな、あんな酷いことを言って。本当はお前が同性を好きってことより、俺はお前が俺から離れていくのが怖くて、あんなことを言ったんだ。きっとああ言えば、お前はずっと俺の側にいてくれるって、そう思ったんだ。馬鹿だろ、そのせいでお前を傷つけてお前は俺から離れていったっていうのにな。俺は幼過ぎて、お前のパーソナリティを否定したんだってことなんて気づいていなかったんだ」 そう、今だったらわかる。 俺の言葉がどれ程残酷だったか。 「くだらない独占欲でお前を傷つけてごめん」 一番信頼していた俺に裏切られたのだ。当時繊細だった司に、それがどれだけ深い傷をつけたかと思うと、胸が潰されそうだ。 「馬鹿だな、そんなことで泣くなんて」 司が俺の涙を拭う。 俺は込み上げてくることを抑えることができなかった。 「そんなことじゃない! 俺は本当に馬鹿だ!」 「もう昔の話だ。それに俺も弱かった。自分の性癖が後ろめたかったら余計に隆一の言葉を最悪な方にばかり考えてた。今なら隆一の気持ちも分かる気がする」 そう言う司はまるで憑きものでも落ちたような、清々しい表情をしていた。 「もう、いいんだ。兄さん」 どうしてだろう、やけに胸がざわつく。 穏やかな笑みを浮かべる司はまるで別人のようだった。
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