Real

 59

 司と決別した日から、まるで司のことなんてなかったように、俺の生活は以前に戻った。

 以前と同じように大和に振り回されている日々だ。

 大和が抱きたい時に抱かれて、あいつが腹が減ったと言うと飯を作ってやる。

 俺の一日は大学と大和の家への往復だけ、まるで主夫のように家事もやるようになった。もともと家事は嫌いじゃないし動いていた方がなにも考えられなくて都合がよかった。

 大和はずっと家にいる時もあるし、家を開ける時もある。なにをしているか聞いたことがあるが「まあ、いろいろな」と濁された。

 まさか、犯罪に手を染めているわけじゃないだろうなというと、ギリギリだなと答えられ、それから怖くて先のことは聞けなかった。

「今日は早く帰ってくる」
 それは夕食の催促だ。

「なんか食べたいものは?」
「ん、和食系で魚かな? 」
「また面倒くさいものを…」
「面倒なのか?」
「これだから、若い男は…」

 ため息をつくと、大和が苦笑をうかべる。

「なんか言うことが主婦くさいぞ」
「うるせー、愚痴ぐらい言わせろ」
「なんだ、お前が聞いてきたくせに」

 大和は納得がいかないと唇を尖らせる。
 まるで拗ねた子供のような表情に、大和が自分より年下なのだと実感する。

「なんだよ、俺の顔がかっこよすぎて見惚れてんの?」
「馬鹿言ってろ。出掛けるんだろ、早く行けよ」
「素直じゃねーな、隆一は」

 俺はしっしっと、まるで犬でも追い払うように手を払う。
 大和は呆れたように肩を竦めて苦笑いを浮かべた。

「んじゃ、行ってくるわ。晩飯楽しみにしてる」
「まあ、気をつけてな」

 俺もそろそろ大学に行く用意をしなきゃならない。遅い朝食の後を片付けながら言った。

「隆一……」

 すでに玄関に向かったものだと思っていた大和から名前を呼ばれた。

「なんだよ、魚以外にも食べたいものとか思いついたのか?」

 視線は向けずに思ったままを口にする。

「お前、このまま俺の嫁になれよ」

 ガチャンと俺の手を滑り落ちた食器が大きな音を立てる。ちょうどシンクに水を張っていたから食器たちは無事だった。

「だっ、誰がっ嫁だっ!! 俺は男だぞ!」

 ぶはっ、と大和が盛大に吹き出した。からかわれたのだと知って頭にカッと血が登る。

「とっとと出て行け!」
「いや、マジだからマジ」

 と笑を堪えながら言ったところで全く信憑性もない。

「ちゃんと考えておけよー」

 そう笑ながら大和は出て行った。

   ***

 クソッ、年下の癖にいつもいつっも人をからかいやがって。

 ムカつきながら少々手荒に食器を洗ったあと、ようやく冷静さを取り戻す。

 大和にからかわれたからというわけではないが、確かにこの先のことをそろそろ考えなければならないのかもしれない。

 このままズルズルここにいるつもりなのか、それとも家に帰るつもりなのか、それとも他に……。

 そう考えた瞬間に、司のことが思い浮かんだ。鋭い痛みが胸を突き抜ける。

 ずっと考えないようにしていたのに、こんな風に何かの拍子であっさりと司は俺の心を奪っていく。

 司という胸にポッカリ空いた穴が塞がることはしばらくないだろう。

 まだ当分はあの家に帰りたくない。あそこは司との思い出がありすぎる。

 しばらくはまだここにいようと決意した。

 とりあえず、母親にだけは連絡を入れておこうと思った。一応、まだ保護者なのだし、長く家を空けることぐらいは伝えておこうと考えたからだ。

 友達の家にしばらく居候をすることと、その間家を空けることになると告げると意外なことを聞いた。

『そう、じゃあ司と入れ替わりに、今度はあなたが家を出たのね』

「司…家に帰ってるの?」

『知らなかったの? 今、家からリハビリに通いながら留学する準備をしてるみたいね』

「留学? 司、留学するの? いつ、どこへ、どうして!?」

『そんな矢継ぎ早に聞かれたって答えられないわよ。だいたい、そんな詳しく私が知ってるはずないでしょ。ただあの子から連絡があって留学しようと思ってるから必要な書類にサインしてくれって言われただけよ』

 まさに寝耳に水だった。

『あなたこそ、なにも聞いてなかったの? 司の看病してたんじゃないの?』

「鬱陶しいから来るなって言われたよ」

『へぇー、昔はあんなにお兄ちゃんっ子だったのにね』

「しょうがないよ、二人とももう子供じゃないんだから」

『そうね。司もようやく落ち着いてくれたみたいだし、良かったわ』

 この人でもそれなりの心配はしていたのだと知った。

『そうそう、パスポートの申請もするらしいから、そんなに先の話じゃないと思うわ。もしケンカしてるならその前に仲直りしなさいね』

 そんな人の親のようなことを言って母親は電話を切った。

 司がいなくなる…。
 もしかしてもう会えなくなるかもしれない。

 電話を切ったあと、まるで頭の中が真っ白になったようになにも考えることができなくなった。自分で自分がなにをやっているかも分からなかった。

 そして────。
 気がつくと自宅の前に来ていた。

 
 俺は玄関の前までやってきて、自分がココに来た理由を見失ってしまった。

 ただ、会わなきゃと思った。

 司に無性に会いたくて飛び出したというのに、会って自分が何を言うつもりなのか出てこなかった。

『行くな』と呼び止める権利は俺にはもうない。

 なら会ってどうするつもりだ。
 再び司にあんな風に突き放されるぐらいなら最初から会わない方がいい。

 そう思うのに、自分の足は玄関の前から一歩も動けない。

 もしかして、もう二度と司に会えないかもしれない、そんな予感がした。
 以前とは立場も状況も全く違うのに、家を飛び出したあの頃と同じように、もう帰ってこない気がしてならなかった。

 今はもう司が何と葛藤していたのかを知っているというのに、どうしてそんな予感が胸を締め付けるのか分からない。

 ……いや、本当にそれだけなのだろうか?

 不意にそんな思いが頭を過る。家を飛び出した時に言い争った以降の司が、俺に向けていたのは怒りよりも諦めに似たような、よそよそしい視線を向けていなかったか?

 それは病院に来るなと告げた司とどこか重なる気がしたのだ。

 司はまだ自分に全てを伝えてないのではないか?
 何かまだ重大なことを隠しているのではないか?

 胸がざわつく、それはかさぶたを掻き乱したくなるような衝動にも似ていた。

「…りゅう…いち…」

 振り返るとスーパーの買い物袋を持った司が立っていた。

 


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