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Real 61 泣きじゃくる隆一を前に俺は思わず抱きしめていた。まるで子供みたいに泣く隆一にどうしていいかわからなかった。 抱きしめるとすっぽり自分の腕の中に入る隆一が愛おしくて、このまま永遠にこの腕の中に留めておきたいと思う。
しかし、それは突然に隆一から突き飛ばされるように離されて、瞬く間に幸せな時間は終わりを告げる。
しかし、そんな気持ちも隆一の表情を見て一気に吹き飛んだ。さっきまで泣きじゃくっていた隆一の顔が茹で蛸のように真っ赤で酷く動揺していたからだ。 そして突然部屋から飛び出そうとするのを慌てて止めた。引き止める為に掴んだ腕まで真っ赤だった。 正直、俺もすごく動揺していた。隆一の突然の変化についていけなかったのだ。しかし、自分の中で何かが引っかかった。それが何かはよく分からないが、ただ隆一をこのまま帰すわけにはいかないと思った。 「つ、司。頼むから手を放してくれ」
そう言った隆一の視線は俺の方を向いていなかった。俺の手を見つめて必死にそれから逃れようとする。
ぐっと強く握って隆一の体を引き寄せた。そして自分を見ない隆一の頬に手を当てて自分の方へと向けさせる。 その時の隆一の表情に俺は絶句する。こんな隆一の表情は初めて見た。そこには羞恥に顔を染める隆一がいた。何かを必死に堪えるように表情を歪ませて、大きな瞳だけは潤ませて、見ているこっちが恥ずかしくなりそうな、そんな表情だった。 「司っ、離せって!!」 いたたまれないのだろう。強引に手を振りほどこうとするが、隆一の腕力では敵うはずもない。 「なあ、なんでそんなに顔を赤くしてるんだよ」 俺がストレートにそう聞くと、隆一は絶句する。
「なんでもいいだろ。離せって」
自分で声を出してみて、すんなりと思考がはまった気がした。 隆一の少しだけ収まっていた顔の赤みが、見る見る間に再び赤く染まっていく。あんぐりと開いた唇がワナワナなと震えて、瞳はこぼれ落ちそうに見開いている。 そうだ、俺はこんな表情を見たことがある。 たぶん、いやきっとそれは自分の思い過ごしでも、都合のいい妄想でもないはずだ。
俺は確信を持って、掴んだ隆一の腕を力任せに引っ張った。その反動で隆一の身体が俺へと倒れこむ。
「隆一は俺の事が好きなんだろう?」
自分でも驚くほど甘くて優しい声で囁いた。
「ばっ…な、なに言ってんだ。そんな訳ないだろ」 半音が上がった上擦った声を聞いて、俺の心は震えた。思わずギュと抱きしめる。 「俺は……俺は隆一が好きだよ。昔からずっと、誰よりも隆一のことが好きだった」 服越しにも隆一の身体が強張るのが分かる。 「なに…言って…そんな訳…ない」 掠れた戸惑った声で呟く。 「嘘じゃない。分かるだろ…ずっと、言えなかったんだ」 たぶん、今なら隆一にも分かるはずだ。なぜなら隆一も俺と同じだからだ。 そう、言えるはずなどなかった。一番大事で大切な俺の兄に────知られることだけが怖かった。 「ずっと、それだけは言えなかったんだ」 どれほど想いを募らせても、隆一を憎んでも、その言葉だけは言えなかった。 「ううっ…」
隆一が嗚咽を漏らす。身体を震わせて隆一は泣いていた。
今は言葉なんていらなかった。
こんな日が来るとは思わなかった。俺はもう病院でのあの時に全てを諦めてしまったのだから。 こんな…こんな奇跡が俺の人生に巡ってくるなんてあるはずがないと思ってた。 だからこそ、まだ俺はこの現実に心がついてこれない。 手の中にある隆一の温もりだけが唯一のリアルで、それだけがこの現実を受け止めるただ一つの方法だった。 ずっと、ずっと、このまま時が止まってしまえばいいと思った。
***
何がなんだか分からなかった。 司が俺を好きだって? そんなドラマのような都合のいい話があっていいのか? ずっと嫌われていると思っていた。司の冷たい眼差しが怖くて、兄としての存在を否定する言葉が辛くて現実に向き合うことができなかった。
司への気持ちだってさっき気づいたばかりで────。
だけど、触れ合う司の体温が……その暖かさが、次第に俺の強張りを溶かしていく。 『ずっと、それだけは言えなかったんだ』
少し掠れた、痛みを含んだような絞り出すような声に、胸が締め付けられた。
その瞬間、俺はこみ上げてくるものが抑えられなかった。 好きという感情が皮膚を突き破るほどに膨れ上がる。
人はこんなにも誰かを愛おしいと思えるものなのかと────。
言葉になんてできなかった。 言葉にしなくてもよかった。 今ここに君がいる。互いに、それ以上に欲しいものなど一つもないのだと知っていた。
頬に手を添えられて顔を上げると、今まで見たことがないような優しさと愛おしさを込めた笑みで俺を見る。 まるで愛情を垂れ流すような、甘い表情に、正直心臓が壊れそうだ。 「目をそらすなよ、隆一」 囁く言葉は、腰が砕けそうなほど艶っぽい。
「まっ、待て……その顔は卑怯だ!」
ニヤリと笑って司が問う。
「エ…エロい……」
そんな反論も、司は嬉しそうに笑う。 「それって色気があるってことだろ。俺にとっては褒め言葉以外の何でもないけど」 クスクスと笑いながら、司の手が俺の手を絡めて握る。
「随分とポジティブだな」
司が握ったままの手を引き寄せる。どうするのかと思ったら、指先にキスをされた。 「なっ……!」 思わず手を引こうと思ったが、司の力の方が強くて全く動かせない。 「こんなことぐらいで恥ずかしがるなんて、隆一はホント、可愛いな」
そう言った後にペロリと俺の指先を舐めやがった。
怒りと羞恥でわなわなと脣を震わせる。
「煩いっ、弟のくせに生意気なんだよっ」
俺だって、お前とじゃなきゃこんなに赤くなんてなるもんか。
「もうそろそろいいだろ。観念しろよ、どれだけ待ったと思ってるんだ」
本当にヤバイ。弟なのに年下なのに、そんなことぶっ飛んでしまうほど、司の色気がハンパない。
俺が頭の中でぐるぐるしている隙に、気がつくとソファー押し倒されていた。抵抗する間もなく一瞬のことだった。 「なあ隆一、いいだろ?」
甘えるような、少しだけ鼻に掛かった声。
よく知った顔のはずなのに、全く知らない漢の顔をした司に、戸惑いと動揺が隠せない。
ゆっくりと近づく脣に、目を瞑る。
?が────。
司が欲しいと訴えていた。 それなのに………………。 脣が触れるか触れないかという一瞬に、どうしてだか大和のことが脳裏に浮かんでしまった。 ハッと身体強張る。 そうだ。俺には大和との約束があるのだ。
「ダメだっ、司っ!」
「隆一、今更往生際が悪い……」
俺の青ざめた表情に、司も尋常ではないようすだと理解したらしい。
「資格ってなに? それを言うなら俺の方がよっぱど……」
勘違いしている司を俺は制止する。 「俺は大和と約束してるんだ。あいつのこと裏切れない。あいつとちゃんとケジメをつけなきゃ、俺は司に触れられない」 大和の名前を出した瞬間、司の表情がすうーっと冷めた表情に変わる。まるで能面のような硬質で表情のないものだった。 「俺が黙って行かせるとでも?」 司の顔が獰猛な雄の顔へと変わる。今にも飛びかかっていきそうなほど好戦的な顔だった。 「大和がどんな奴か隆一は分かってない。自分が欲しいものの為なら何でもする男だぞ。あいつのところに返したら、隆一なんて首輪に繋がれて一生閉じ込められて飼い殺しにされるに決まってる!」 俺は思わずクスッと笑ってしまった。 「知ってる。俺は司よりずっと大和のこと分かってる。それでも、俺はあいつを裏切れないよ。大和には酷いこともいっぱいされたけど、一番辛かった時に側にいてくれたのも大和だから。それに……大和はもう一人の司みたいで、自分の都合だけで突き放したりできない」 そう言うと、司は捨てられた子犬みたいな寂しそうな瞳で俺を見つめる。 「そんな顔するなよ。俺がいじめているみたいじゃないか」 慰めるように司の頭を撫でてやる。するとクシャリと泣きそうな表情に変わった。 「大丈夫。ちゃんとケジメをつけるから────」 司を安心させるために、そう言った。 「嫌だ。行かせたくない。行くな。大和のことなんて放っておけよ」 さっきまでお色気ムンムンで迫ってた男と同じとは思えないほど子供じみた我儘で俺のことを引き止める。 「ダメだ。俺は大和との約束を破りたくない。きっとそれをしたら俺は一生後悔する」
いつの間にか大和は俺の特別な存在になっていた。
「なんか妬ける」 脣を尖らせて拗ねる司に俺は困ってしまう。 「俺が愛してるのはお前だけだよ」 そう言って、顔を赤くする司を見て、俺は思いつくまま口にした言葉に羞恥する。 「やっぱり隆一は俺を喜ばせることをよく知ってる」 破顔する司に今度は俺が照れてしまう。
「じゃあキスだけ。キスだけならいいだろ?」
「いいよ、キスだけな」 そう言うと司は嬉しそうに笑って、まるで壊れ物にでも触れるかのように優しいキスをした。 「この続きは隆一が帰ってからにする。だから絶対に帰ってこい」 司の言葉に俺は頷く。 「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから待てってくれ」
俺が戻ってくるのは、この家だけだともう決意したのだから────。
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