Real

 62

 こんなに緊張して大和の家に帰るのは初めてだった。
 
 実家の家を出てから俺は自分がスマホを忘れてきたのに気づいた。今朝、大和は早く帰ると言った。
 陽はすでに傾き始めている。きっとすでにもう家に帰ってきてるだろう。何もないテーブルを見てどう思っているだろうか。
 機嫌はきっとすごく悪いだろう。怖いと思う。ここに来た頃の暴力にも近いSEXを思い出す。逃げ出そうとして散々媚薬でいたぶられたことも。

 裏切り者には容赦がない大和。また同じことをされても俺には逃げる術もないだろう。

 それでも、俺は大和から逃げたくなかった。散々自分の気持ちから逃げてきたからもう逃げたくないのだ。

 扉の前で覚悟を決めて鍵を開ける。ゆっくりと扉を開いて、絶句する。

「大和────」

 玄関の前で大和が待っていた。

「随分、遅い帰りだな」

 目の前の大和は怒っているわけでもなく、だからといって普段通りの気安い感じでもなかった。どちらかというと淡々とした口調で、まるで事務的な感じで話しかけられた。

「ああ、約束してた和食を作れなくってごめん」 

 俺も何事もないように普通に話す。

「買い物もしてないんだな」

 言いながら大和は背を向けてリビングへと向かう。俺もそれに着いていく。

「そうだな、今日はもうそれどころじゃなかったから」

 大和がソファーに座るのを俺は立ったままで見ていた。

「ああ、くそっ、負けちまったっ!!」

 突然、大和が叫んだ。

「俺が賭けに負けるなんて滅多にないんだぞ!!」
「大和……」

 大和の言葉で、彼が何を言っているのかようやく理解した。

「やっぱ、カッコなんかつけずに、ずっと隆一を監禁しときゃよかったな」

 俺は何も言えずにいた。いや、何を話したらいいかさえ浮かばなかった。
 大和はどこまで分かっているのだろうか。

「ってかさ。何で一人で戻ってきたの? 俺はがまた監禁するとか思わなかったのかよ?」

 呆れたように大和は聞いた。

「約束……しただろ。帰ってくるって」
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、ホントに馬鹿だな隆一は」
「知ってる。けど、これが最後だとしても俺は破りたくなかった」

 大和がいきなり俺の腕を掴んだ。瞬間にソファーに押し倒される。

「わかってんのかよ、俺がその気になったら隆一なんて速攻レイプして拘束して監禁して精神壊すまで犯し続けることだってできんだぞ」

 大和の目は真剣だった。いつもは本気か冗談かわからないところの多い男だったが、今はその言葉が冗談じゃないことは分かる。

「そうだな。お前がそれをできることは良く知ってるよ」
「じゃあ、何で抵抗しない。何でここに帰ってきたんだよ。俺とのつまらない約束の為に、人生棒に振っても構わないとか?」

 俺は首を振る。

「いや、そんな自己犠牲をするつもりなんかないよ。でもお前にはちゃんと俺の出した答えを聞く権利があると思ったんだ。いつの間にはお前の隣にいることが居心地がよくなって、このままズルズルこのままでもいいかと思ってた。……だけど、今日司と会って良く分かった。やっぱり俺は司じゃないとダメみたいだ。あれだけ大和に甘えておいて今さらだけど、俺は大和を選べない」

 俺ははっきりと言った。そう、たぶん俺は大和と交わした約束よりも、この言葉を言いにここに来たのだ。

 大和の瞳が少しだけ見開いた。

 そして、俺は唖然とする。

 眉根に深い皺を作って、この男でもこんな辛そうな表情をするなんて思ってもいなかった。
 今にも泣きそうな、そんな表情だった。

 大和…と口にする前に、ギュッと抱きしめられていた。

「クソッ……」

 大和は小さな声で、そう罵った。

「なんで司なんだよ。あんなヤツより俺の方がずっと良い男だろうが」
「人の弟を捕まえて、よく言う」
「本当のことだからな。あんなヤツに……隆一を傷つけた男に渡したくない」

 あれほど無茶苦茶で、強引で、激しくて破天荒なこの男が、どうしてなのか自分なんかを愛してくれていたのだと、今更ながら実感する。

「それでも……俺は司しかいらないんだ」

 だけど、俺はそんな残酷な言葉しか返せない。

「お前は本当に、怖いもの知らずだな」

 大和は呆れるように笑った。

「いや、怖いよ…」

 お前を傷つけるのが怖いし、辛い。
 だが、それが俺のケジメなのだ。
 大和を切り捨ててしまうのは俺なのだから────。

「いや、お前は強いよ。司なんかよりずっと……。だからこそ俺はお前が欲しかった」

 大和がいたからこそ、俺は司に切り捨てられた時もどうにか立ち直ることができた。あの時、大和だけが俺を欲しいと言ってくれた。
 それがどれほど俺を救ったか大和はきっと知らないだろう。

「ありがとう……大和」

 それは俺の本音だけど、言葉に出したのはたぶん自己満足だ。

「礼なんか言うな。さよならもだ。そんな言葉聞きたくもない」

 だからこそ、そんな風に返されて当然だと思った。

「ああ、畜生っ! これ以上隆一といたら余計なことまで言ってしまいそうだ」

 そう言って大和は体を離して立ち上がった。

「俺が帰ってくるまでに出ていけよ」

 大和は革ジャンを羽織って部屋を出て行く。俺は後を追わなかった。

 俺はもう一度、見えなくなった大和にありがとうと口にした。

 そしてごめんなさいと。
 本人を目の前にしては絶対に言えない言葉だった。
 
 大和と俺は多分同じだった。
 何かを喪失しているという一点において、それが個人を形成するのに歪な大きな穴を開けていることが。

 だからだろう。あんなに怖いと思っていた大和のことが、いつの間にか怖くなくなっていた。

 決して、俺たちは傷を舐め合っていたわけではない。いや、俺は別として大和はそんなものは求めていなかった。

 俺は大きな穴を必死で埋めようとしたけれど、それがどれほど無駄な行為だったのか大和と一緒にいてよくわかった。結局人間なんて自分の本当の欲求を消すことなどできないのだ。それが叶うか叶わないに関わらずだ。

 大和はただ自分の欲求に真っ直ぐだった。
 彼は自分を偽らない。
 そんな大和を俺は羨ましく感じたが、同時に彼のようになれないことも分かっていた。
 なぜならそれができるのは身も心も強いものだけだ。
 
 だからこそ、再び彼を一人にしてしまうことが辛かった。
 だけど、俺にはもう何もしてあげることはできないのだ。

 許して欲しいなんて思わない。
 憎まれてもいい。
 
 ただ彼の孤独が少しでも救われればと、願うことすら高慢なのだろうか?

 バイクのエンジン音が遠のいていくのを聞きながら俺はそう思っていた。


   ***


 隆一を待つ間、俺はまるで永遠かと思うほどの時間を過ごしていた。
 隆一はああ言っていたが、俺はそれほど簡単に大和が隆一を解放するとは思えなかった。

 あの大和が誘拐監禁してまで執着した隆一を手放すなんて思えない。

 今にして考えると、俺にした忠告も俺への牽制だったとも考えられなくもない。
 元からあいつは隆一の気持ちを知ってて、俺の罪悪感を逆手にとって隆一から遠ざけようとしていたとしたら────。

 そう、ずっと違和感を感じていたのだ。
 あの男が、ただ隆一の為だけに、何度も俺に釘を刺したりはしない。
 いつも飄々とした男が真剣に俺を牽制していた。

 それほど本気だったと思うと、ゾッとした。

 俺が思っている以上に、大和は隆一に執着している。

 まさか…本当に、あの大和が隆一を好きだとか……。

 冗談じゃない。俺は大和を相手に隆一を守れるか?
 いや、今更だ。

 大和だろうが、誰だろうが、もう俺は隆一を手放すつもりなんてない。
 一生叶わないと思った願いが叶ったのだから。
 俺の命を賭けたって隆一を守りきる。

 だから、早く帰って来い。

 そう願っていると、聞き馴染みのあるバイクのエンジン音が聞こえてきた。
 
 ハハハッ、と俺は乾いた笑い声をあげた。

 やはり、そう簡単にいくはずがねーよな。

「おい、開けろ!」

 呼び鈴すら鳴らさずに大和は言った。
 全く、何様だよ。うちの扉は自動ドアじゃねーっての。

 俺は足を引きずりながら玄関へと向かう。
 扉を開けると、そこに大和が立っていた。とっさに後ろを確認したが隆一はいない。

「あいつはまだ俺の家だよ」

 その言葉で俺は青ざめる。

「まさか、また監禁するつもりじゃねーだろうな!!」

 大和に掴みかかろうとしたが、素早くその手をはたかれる。

「勘違いするんじゃねーよ。今頃隆一は荷物をまとめてるところだ」

 少しだけホッとしたが、まだ安心できるはずもない。

「いいか、隆一が許したって俺はお前があいつを傷つけたことを許したりはしねーからな」

 心の底から這うような怒声だった。どうしようもなく燻る怒りが大和から湧き上がるようだった。

「わかってる。俺だって自分を許せない」
「ハンッ、その割には随分浮かれているようだがな!」

 言葉が出なかった。図星だったからだ。

「いいか、二度目はねーぞ。もう一度お前が隆一を裏切ったら、あいつが泣いて叫ぼうとも俺のものにしてやるからな」

 唖然とした。まさか、大和がこんなことを言うなんて思いもよらなかった。

「もう二度と俺は隆一を裏切らない、何があっても、絶対だ」

 それだけ誓える。揺るがない信念だ。

「まあ、いい。しょうがねーから一発殴らせろ」

 何が、いいで、何がしょうがねーんだと、思わず呆れる。

「最初はタイマンでボコってやろうかと思ってたんだけどな。お前、怪我してるし、そんなんでボコボコにしたら隆一に文句言われるからな」

 ニヤリと笑って言いやがった。

 まあ、しかし。一発殴られるぐらいで大和の気がすむというなら受けてやってもいい。
 俺だって兄を寝取られたんだ。思うところがないわけじゃない。
 だが、これで本当に隆一が自分のものになるのなら安いもんだ。

「わかった。好きにしろよ」
「おう、なら覚悟しろよ」

 渾身の力を込めたストレートに思わず飛びすさりそうになるのをかろうじて堪える。腹筋の一点にこれでもかって力を入れたが、それでも一発でダウンしていた。

 胃がひっくり返りそうなほどの強力な一発だった。

 くそっ、テメー、一般人なら内臓破裂してんぞっ!!

「ハハハッ、一発でダウンかよ。情けねーな。入院で身体鈍ってんじゃねーの。やっぱ、こんな奴より俺の方がよっぽどいい男なのによ。お前の兄貴も見る目がねーな」

 そう言い捨てて大和は出て行った。

 俺は吐きそうになるのを必死で堪える。こんな玄関で流石に胃液をぶちまけるわけにはいかねー。そんな情けないこと隆一に知られたくない。その思いだけで必死に耐えた。

 ようやく波を乗り越えて、ホッと一息ついた。
 しかし、この程度で大和が身を引くなんて思ってもいなかった。

 まあ、まだ未練たらたらって感じは否めなかったけどな。
 だが……あんな大和を見るのは初めてだった。
 大和も真剣に隆一を愛していたのだと今ならわかる。

 だけど、大和にだって誰だって、隆一だけは譲れない。
 そして、今まで傷つけた分、今度は俺が隆一を幸せにするのだ。

 だから……早く帰って来い。再び強く俺はそう願った。


 


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